夢を見るために起きる
「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
村上春樹さんの本のタイトルのように、私も夢を見るために起きる日々がありました。
朝、目が覚めても現実が受け入れられなかった。
本当に苦しくて、こんなにも悲しい出来事に生きているうちに出会うことがあるのだろうかと思った。
かといって死ぬ勇気もない。
だから、毎晩、夢を見るために起きました。そして、現実の働いている世界が夢で、眠っているときの世界が本当なんだと決めました。
だって、私の人生だもの。そうやって自分の心を守ってもいいでしょう?
それでも、夢は潜在意識と直結しているので、現実と似たような姿を見せることもありました。でも、眠っているときが何より幸せでした。
それでも朝、涙で目が覚めるとき、私はいつもこの詩を暗唱して自分を励ましていました。
昔からよく言われる「いろはにほへと」のいろは歌です。
たくさんの本を読む中で、最も心に響きました。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 けふ越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
(意訳 花の香りはまだするのに、もう散ってしまっているよ。この世には常のものなどないのだよ。私だって実在はしていない。すべて無だ。
愛、悲しみ、希望、怒り、今思うものすべて実体のない幻想にすぎない。すべて浅い夢、ならば酔うまい)
心が癒された詩でした。
そんな素晴らしい詩だからこそ、今も語り継がれるのでしょう。
本当に苦しいとき、ぜひ、そらんじてみてください。きっと助けになります。
でも、今はすっかり忘れて、元気に朝からコーヒーとパンを食べて小野リサを聞いています。
苦しいときも、ずっとは続かない。
諸行無常です。
NLP文章メンタルカウンセラー郁弥でした。