嫌だけどやる、の効果
人の進化は『嫌だけどやる。やりたいけどやらない』にあると、ある人が言っていました。
とはいえ、嫌だけどやるを子供の頃から続けすぎて、嫌な習い事をどうしてもやめさせてもらえなかった私は、ほんまかいな~と思っていました。
さきほど、仕事のやり取りの中で、本音の部分で一番苦手だと思う人と久しぶりに電話で話しました。
嫌だ~それしか思えない。
きょう見たドキュメンタリーで体操の内村選手が団体決勝の種目順番を聞いたときに浮かんだ言葉と同じものが浮かびました。
そやな、みんな嫌だけどやる。だから、越えてるんだ。
その決意の一歩なんだ。
その人は深い部分では私の鏡でした。規則正しい彼女、ほしいものをほしいと言える彼女、決断力のある彼女、がんばっている彼女。
それは、私が自分にたいして足りないといつもジャッジしている部分を学ばせるために出会ってくれた存在。
本当に苦しい出来事もあったけど、それは私を一番成長させてくれた。
心からの感謝を込めて。わだかまりなく彼女と話せる自分がいた。
あ、私、自分の苦手な部分を受け入れたんだ。そして、嫌だけどやる、で私も頑張ろうって腹くくったんだ、そんな気付きがありました…。
やっぱり出会う人には全て意味がある。
嫌な気分にさせてくれる人ほど何か気づかせてくれる。
嫌だけどやる、この効果はやはり強いようです。
とはいえ、場を変えるかどうかの見極めは別の視点で必要かもしれませんが。